~序章~事務所開設から10年を振り返って
はじめまして。代表弁護士の小前田です。
私は、修習終了後の平成22年12月に、いわゆる即独という形で「小前田法律事務所」を開設しました。私が27歳のときです。あれから約10年が経ち、多くの方のご助力のおかげで弁護士4名、事務スタッフ4名の事務所にまで成長することができ、事務所も法人化し、「弁護士法人ふくい総合事務所」となりました。
事務所開設から、たかだか10年、事務所の歩みといっても、たいした出来事や成果があるわけではありませんが、うちの事務所に採用応募を出すに当たって、どんな事務所かを知るのにはよい材料になるかなと思いますので、これまでの約10年のあゆみを、このブログにて書いていこうと思っています。
また、私自身が即独という珍しい形で弁護士キャリアをスタートしているので、修習生の方はキャリア選びの参考にしていただけたらいいかなと思ってします。ただし、後述のとおり即独するのはオススメしません。
それでは、まずは第1章として事務所開設までを書いていきます。
~第1章~ 事務所開設までの道のり
受験生時代
私は、関西学院大学に、大学・ロースクールと在籍していました。大学卒業後に、既習コースで2年間ロースクールへ。司法試験1回目は不合格となり(当時約2000人合格で順位は2100番台)、1年間猛勉強し、2回目の受験で合格しました(当時約2000人合格で順位は300番台)。
正直、ロースクールの成績は良くなかったです(GPA平均は2.0あるかないかくらいだったと思います)。なので、ロースクールの教授や同級生も私が合格するとは思ってなかったでしょう。
ただし、受験時代の最後の1年間は法律のことが飛躍的に理解できた感覚がありました。最後の1年間は、これまでにバラバラに勉強していたことが、体系的に一つに繋がった感覚がありました(スティーブ・ジョブズ氏がいう「コネクティング ザ ドッツ」のような感覚です。)そんなわけで、合格した年に関しては合格できる自信があった気がします。
当時はロースクールがあった兵庫県西宮市に住んでいて、司法試験の合格発表を見るために、大阪の中之島まで行きました。貼り出された掲示板に自分の番号を見つけたときは嬉しかったというより、ホッとしたことを覚えています。
司法試験に合格した当時、両親は既に亡くなっており、年金暮らしの祖母に学資や生活費を援助してもらったりしてなんとか勉強を続けられる状況でした。祖母にはかなり悪いことをしているなと心苦しかったです。当時は祖母も84歳。正直、自分がいつまでも勉強だけを続けられるかは分からない状況で、早く合格しなければというジリジリした思いでいっぱいでした。なお、祖母は、現在も95歳で元気に生きています。勉強を続けられるよう援助してくれた祖母には頭が上がりませんし、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、当時は、大学時代の同級生が新卒で就職してお金を稼いでいる中で、学生として貧乏生活を続けている状況に焦りもありました。加えて、司法試験は0か100の世界で、合格しなければ次に進めない世界。将来に対する漠然とした不安も大きかったと思います。そういった状況から、合格した年は、何が何でも今年の司法試験には合格しなければならないというプレッシャーは強かったです。
合格発表で、そうしたプレッシャーから解放されて、すごくホッとしました。
当時修習生は給費制で給料をもらうことができたので、金銭面に対する不安からも解放されました。そうして無事に、司法修習生(新63期)になる権利を獲得することが出来ました。
当時の就職状況
ホッとしたのも、つかの間。司法試験に合格したのはいいものの、暗い話をさんざん聞かされることに・・・。
先に司法試験に合格したロースクールの同級生や先輩に話を聞いてみると、法律事務所への就職が大変だというのです。当時、修習生の就職先がないということが業界では問題になっていました。
現在は、弁護士の採用市場は売り手市場で就職先がないということはありませんが、当時は就職難といわれる状況でした。
なんとか司法試験に合格したのに、それだけでなく就職も大変なのかと暗い気持ちになったことを覚えています。ロースクールの先輩の中には、俗にいうブラック事務所に就職してしまい大変な目にあっているというような話も聞いたりしました。詳しい話はこの記事には書けませんが、とてもひどい扱いをボス弁から受けていました。買い手市場で次に行く事務所がないため、ブラック事務所でも人が辞めず、ブラック事務所がはびこる時代でした。
今は、ブラック事務所はある程度淘汰されていると思いますので、いい時代になったと思います。
司法試験合格直後に考えたこと
司法試験合格直後の私は、もう7年近く兵庫県西宮市に住んでいたので、大阪の事務所に就職した方が、大学やロースクール時代の友達がたくさんいるからいいかなと考えていました。
しかし、先に司法試験に合格したロースクールの同級生や先輩に、大阪での法律事務所への就職の大変さを聞かされ、正直、就職活動にそこまで時間と労力をさきたくないなと考えるようになりました。就職活動の意義に疑問を感じていたこともあり大学時代には就職活動を全くしておらず、弁護士になってまで就職活動という何も価値を生み出さないものに対して力をいれる気は全然ありませんでした。このへんは完全に若気の至りですね。私は、大学生時代に就職活動もしておらず、正社員で働いた経験もありません。バイト経験くらいしか働いた経験がなかったため、このように考えていたのではないかと思います。
あとは、自分の性格的に就職活動で、上の人(ボス弁)に気に入られるようなコミュニケーションを取れるとは考えにくく、ちゃんとした事務所に就職できるとも到底思えませんでした。
自分が行けるのはブラック事務所くらいだと気づいてしまいました・・・。
そして、私よりもはるかに優秀な先輩がブラック事務所で疲弊していたりしている状況を見ていると、私の中では、大阪の事務所で就職するという選択肢は無くなりました。
あと、公務員は自分には絶対に向いていないなと思っていたので、検察官や裁判官は最初から考えていませんでした。当時は就職難ということもあり、検察官や裁判官の志望者は多く、競争が激しかったため、今から考えると、志望したとしても、とても自分がなれた気はしません。
また、当時は、インハウスロイヤーの就職先はほとんどなかった気がします。
そんなわけで、ゆくゆくは地元である福井に帰って仕事がしたいと思ったということもあり、帰るのであれば早期に福井に帰ろうと考えを改め、実務修習地も福井を第1希望とし、福井で実務修習をすることに決めました。福井で就職先が無ければ、即独すればいいやと考えていましたし、福井には実家もあるため、生きてはいけるだろうと楽観視している状況でした。
いざ福井修習へ
実務修習地は、福井を第1希望にしたので、当然、福井に配属に。福井の実務修習は12名でした。少人数のため、極めて濃い修習を過ごすことが出来ました。このときの福井修習の同期が、私も含めて、福井に弁護士として5人も残っています。
修習時代は、勉強はそこそこに、先輩法曹と飲みに行ったり、週末は同期の修習生と遊びに行っていたりしていました。福井に戻り、通勤のために必要だったので、スズキのスイフト(中古)を80万円のローンで購入しました。福井の修習で、修習生で車を持っているのが自分だけだったので、その車でいろんなところに遊びに行きました。この頃は、司法試験の勉強から開放されて、遊びに注力していた時期だと思います。二回試験のプレッシャーはそんなになかったと思います。
私はほとんど就職活動をしていなかったので時間もあったし、給費制で毎月給与がもらえるというのが、ロースクールでの貧乏生活時代からは考えられないことで、修習生活が楽しすぎて、毎月、給料は全て使い切っていました。即独にあたって開業資金、運転資金を貯めるということは一切していませんでした。
今から考えると、能天気ですね。
ただ、このとき福井修習であったため、福井でいろんな人とのご縁が出来て、いろんな面で助けていただいたくことができました。そのため、福井修習にしたことが社会人経験も無い私が、即独してもなんとかやっていけた一つの理由かと思います。
即独することを決断
実務修習で、福井に帰ってきましたが、当時、福井の事務所の就職先は多くなかったと思います。私自身も、事務所訪問をしたのは1事務所だけで、その事務所では採用されませんでした。そんな中、事務所を移転する先輩弁護士から即独するのであればそのまま居抜きで事務所を使っていいという話をいただきました。居抜きということで、コピー機、什器、内装、パーテーション等が必要なく、敷金までもらえるという好条件でした(もちろん原状回復義務は引継ぎ)。
修習生でお金の無い私にとっては非常にありがたい申し出で、今でもとても感謝しております。
もともといつかは福井で独立するつもりで福井に帰ってきたこともあり、居抜きで開業資金も必要ない以上、ここは思い切って即独してしまおうと考え、先輩弁護士の話に乗り、即独することになりました。当時は独身で、妻も子どももいませんでしたので、実家で生活すれば、住居と、食事は確保できます。また、弁護士をやるためには、最低限、PCと携帯、コピー機、スーツがあればなんとかなるということで、そんなにお金もかからないかなと思いました。ロースクールでは、貧乏生活をしていたのでお金を使わない生活自体は慣れていました。また、弁護士会の法律相談や法テラス経由で、生きていける最低限度の売上は確保できるのではないかと考えました。
なので、即独については、そこまでの怖さはありませんでした。
開業にあたりやったことは、運転資金200万円を金融機関から借り入れ、書籍購入、セコムと契約、判例検索ソフトの契約、電話・インターネットの契約、弁護士賠償責任保険の加入等だったと思います。
修習時代に、即独のために、特別に準備はしたということはなかったです。
事務所の名前も私の名字から、「小前田法律事務所」と名付けただけで、意味は全くありませんでした。
即独してみてわかったこと
私は、福井での修習時代から先輩弁護士に指導を受けていたことや、昔の福井では新人弁護士は即独するのが当たり前という文化で(今は変わってきていて、新人は勤務弁護士になるのが普通です)、先輩弁護士が即独の後輩弁護士をサポートするという伝統もあったことから、有形無形の多大な支援をいただきました。非常にありがたく、今でも感謝しております。
加えて、開業当初こそ、事務スタッフは採用していなかったのですが、開業後すぐに業務が滞り始めたため、開業して2ヶ月後には、事務スタッフの採用を行ないました。採用した事務スタッフは良い人ばかりで、現在でも当事務所の業務をいろんな面で力強く支えてもらっています。
また、私が即独した時期が、いわゆる過払いバブルの末期で、債務整理の案件で弁護士報酬が高額の事件を受任できたというタイミングが割とよい時期でもありました。
そのため、即独ながらもなんとか事務所経営を行ない、様々な事件を経験することによって弁護士としての研鑽を積むことが出来ました。即独してからの事務所経営や事件処理の状況については、別記事で詳しく書かせていただきます。
即独の場合、OJTによる仕事の経験もないままいきなり現場に入っていかないといけないので、なかなか大変です。正直、司法試験や修習で得た知識・経験だけでは、現場では何の役にも立ちません。これに加えて、売上や営業といった事務所経営も考えないといけません。
即独は経験が無いなかでやらないといけないことが多すぎます。なので、今の修習生に即独については全くオススメしません(笑)。
即独は、私が司法試験に合格したときの就職先が無くてブラック事務所がはびこった時代には、あり得た選択肢かと思いますが、今のように採用が売り手市場の状況のときは、就職もしやすいと思いますので、どこかの事務所に入って、給料をもらいながらまずはしっかりと仕事を覚えたほうがよいです。
第1章では、事務所開設までのあゆみを書かせていただきました。今後は、第2章として私が個人事務所でやっていた時代(第1創業期)を、第3章として勤務弁護士に来ていただき組織化を意識するようになった時代(第2創業期)を2章に分けて記事を書いていこうと思います。