代表弁護士の小前田です。

前回の記事(事務所開設までのあゆみ)では、私が修習中にいわゆる即独し、事務所を立ち上げることになった経緯を書かせていただいました。今回はその続きの記事になります。個人事務所として事務所経営をしていた頃の話を書いていきます。

 事務所の引渡しを受ける

平成22年の12月中旬に、二回試験の合格発表があり、無事に合格。福井弁護士会に登録することができました。二回試験の成績は、可もなく不可もなくぐらいの平凡なものだった気がします。それから、事務所の引渡しを受けました。事務所の間取りは、下記のような感じで、大きさは約20坪です。

(当時の事務所の間取り)

前の記事で書いたように、先輩弁護士が法律事務所として使っていた事務所をそのまま居抜きでいただいて事務所を開設しました。

そのため、コピー機、什器、内装、パーテーション等が揃っており、内装工事などは行う必要はありませんでした。おそらく普通に即独するより開業資金が200~300万円浮いたと思います。

居抜きでいただいた事務所は、相談スペースや執務スペース(弁護士・事務スタッフ)などもきちんと作られており、弁護士1人で事務所をやっていくには十分でした。また福井地方裁判所から徒歩3分という好立地でした。

(引渡しを受けた直後の事務所)

事務所の引渡しを受けたときは、いよいよ始まるなというワクワク感と、やっていけるかという不安がありました。

あと、前後関係はよく覚えていないのですが、修習生としての最後の給料に加えて、賞与もこのくらいの時期にもらえました。事務所の運転資金として使えると思って歓喜した記憶があります。修習の給費制は、今思うと最高の制度でした。

 事務所開設へ

居抜きで事務所をいただいたとはいえ、そのままでは弁護士業務をすることはできません。いろいろ必要なものの購入や、契約を順次していきました。

具体的には、運転資金200万円を金融機関から借入、書籍購入、セコムと契約、判例検索ソフトの契約、電話・インターネットの契約、弁護士賠償責任保険の加入等などをしていきました。

開設後の作業で一番大変だったのが事務所の開設の挨拶状の作成でした。事務作業が苦手で、宛名の差し込み印刷等もできないので(今でもできません)、挨拶状の宛名書きも自分で手書きしたため、ものすごく時間がかかりました。さらに、弁護士の手書きの字は下手だとよく聞きますが、ご多分に漏れず私もそうで、挨拶状をもらった友達からは宛名書きの「字が汚い」と言われ散々でした。以後、自分で宛名書きするのは控えようと心に決めました。

事務所の名前は私の名字から、安直に「小前田法律事務所」と名付け、看板を業者さんに作ってもらいました。

そんな準備をコツコツとやっていく中で、平成22年の12月は終わっていき、年明けの平成23年1月から、本格的に弁護士業務を行うようになりました。

このときから、当事務所の第1創業期が始まったといえます。

この時代は完全に個人事務所として仕事をしていました。この第1創業期は、勤務弁護士の園山弁護士が入所し、事務所を移転することになった平成27年1月ころまでの大体4年くらいの期間になります。そのうちの3年くらいは、後の記事でも述べるとおり、弁護士1名事務スタッフ2名の事務所として活動をしていました。

 開業当時の仕事

開業直後から、何人かの先輩弁護士と共同で事件を受任させて頂き、共同受任による着手金をもらえたことで、資金的にも助かりました。共同受任で初めて手にした着手金は修習生時代の1ヶ月分の給料よりも多かったので、これを銀行のATMに預け入れるときは緊張で手が震えました。

また福井弁護士会では、即独弁護士に対しては、初めて担当する国選事件についてサポート弁護士が指導する仕組みがあります。私の場合は、被疑者段階、被告人段階と合わせて計5、6回、サポート弁護士の先生と相談をさせて頂き、公判へ向けた活動や示談の方法など、実践的な指導を受けることができました。

あとは、国選弁護士の当番や、法律相談の担当を先輩弁護士から譲ってもらうなどしてもらい、徐々に仕事も入ってくるようになってきました。

そんなこんなで、開業当時はがら空きだった僕のスケジュールも仕事で埋まるようになってきました。

 弁護士は「一生勉強」の仕事

1年目は、いろんなことが未経験で分からないことだらけでした。事件を受けるたびにとにかくいろんな本を調べたり、先輩弁護士や同期弁護士に質問したり、相談させてもらったりしながら、なんとか事件を処理していきました。

そして、空いた時間は、実務に関する本をとにかく読んでいました。その頃に日常的に読んでいたのは業務分野の本はもちろんですが、経理や社会保険のことなども何も知らないのでそういった関係の本や、経営のことを勉強するためにビジネス書を読んだりしていました。

司法試験受験生の頃は、司法試験が終わったら勉強しなくてもいいと思っていたところもありましたが、全然そんなことはありませんでした。むしろ、勉強しなければいけない分野が法律分野以外に幅広くあり、勉強は司法試験のときよりもしなければなりませんでした。法律や判例などもアップデートされるため、一度勉強しただけでは終わりがないのです。

新しいことを勉強して、それを実践することに好奇心や楽しみを見いだせる人でないと、弁護士の仕事は続けるのは難しいかもしれません。

弁護士になった頃の自分は、「10年先輩の弁護士」というと「なんでも知っているすごい先生」みたいに考えていましたが、自分が10年弁護士をやってみて思うのは、まだまだ自分が知らないことや経験していないことはたくさんあり、想像以上に自分はまだまだだということです。とにかく、これからも初心を忘れずに精進していこうと思います。

弁護士の仕事は、常に謙虚に「一生勉強」という気持ちでやっていくことが大事だと思います。忙しくてなかなか勉強する時間がとれない時期もあったりしましたが、弁護士1年目から、10年たった今でもずっと勉強の時間はとるようにしています。

 一人でなんでもすることに限界を感じるようになる

開業当時は、事務スタッフがいませんでした。とりあえずは、自分1人で始めてみて、無理そうだったら、事務スタッフの採用を考えようと思っていました。

仕事が増え始めてきてから、まず困ったのが電話です。

弁護士の仕事は事務所を空けることも多く、その場合は、電話に対応することも難しくなります。もちろん、外出のときには、自分の携帯に電話を転送するようにしていましたが、それでも電話に対応できないことが増えてきました。裁判所の書記官さんから、「いつ電話が繋がるのですか」と言われて、怒られたのはいい思い出です。

開業したばっかりで仕事に慣れていないこともあり、事務作業は時間をかけながら、電話や来客がない夜にコツコツとやっていました。事務作業は、事務スタッフにやってもらえるようになってから、仕事がすごく楽になった気がします。事務スタッフに事務作業をやってもらえるようになってから、自分より丁寧で早く正確にやってくれるのを見て、自分が事務作業は苦手だったのだなということに気づきました。

忙しいビジネスマンのイラスト

そんな感じなので、接客作業も全くのダメダメでした。

事務所に遊びに来た友達に、私が作ったお茶を出したら、「お茶がまずい」といわれました。事務所に来た依頼者にも同じお茶を出していたので、みなさん心の中では何か思っていたのかもしれません・・・。確かに自分でも美味しいお茶ではないなと思っていましが、なぜ美味しくないのか原因がわからず美味しくないお茶をお客様に出し続けていました。

※事務スタッフ加入後は、事務スタッフが美味しいお茶をお出ししておりますのでご安心ください。

開業2ヶ月くらいである程度仕事も入ってくるようになり、事務スタッフがいないと自分一人では仕事が回らない状況になりました。

そこで、急遽、ハローワークで、平成23年2月中旬頃に求人を出すことにしました。

 事務スタッフKさんが加入

ハローワークで事務の求人を出したところ、応募が10件以上あり、出来たばかりの事務所でもこんなに求人に応募があるのだと驚きました。当時はリーマンショックの影響がまだあった時期だったからかもしれません。

3人くらい面接をした中から、Kさんを採用。面接したその日に内定を出しました。Kさんは、私と同い年の女性で、明るい性格でした。実際に働くようになって、事務作業や接客作業も素晴らしく、採用してよかったと思いました。Kさんは今でも当事務所にいて、事務局リーダーをやっていただいています。明るくて、周りへの気遣いが非常にできる方なので、事務所の雰囲気づくりや環境づくりに貢献していただいております。

残念ながら私がそういうことが出来ない人間で、いろんなところに興味を持って突っ走ってしまいがちなところを、事務所内のバランスを上手くとってくれています。

Kさんがいないと事務所が崩壊していたなという場面が、正直、何回かありました・・・。

 事務の求人を出してみて気づいたこと

事務の求人を出してみて気づいたことは、修習時代から法律事務所の事務スタッフは女性が多いと思ってはいたのですが、それは、事務の求人を出して応募があるのがほとんど女性だからだということでした。当事務所でも、その後、何回か事務の求人を出していますが、応募があるのはほとんど女性からなので、必然的に採用されるのも女性だけになっています。

あと、事務スタッフの採用においては法律事務所の経験者が良いかどうかということで議論がありますが、個人的には、未経験でも全く問題ないと考えています。

うちの事務所の事務スタッフの採用においては経験者を採用したことがなく、全員、法律事務所は未経験の状態で採用していますが、みなさん活躍してくれています。正直、経験があるかないかよりも、事務所の理念に共感できるか、コミュニケーションがきちんととれるか、仕事に対して前向きに取り組めるか、自分の頭で考えられるかといった能力のほうが重要だと考えています。

楽しく同僚と話す会社員のイラスト

こうした能力があれば、自然と仕事は覚えてくれるので、経験者にこだわる必要はないかと思います。ここは、弁護士採用においても同じだと思っています。

 Kさんが入った後の事務所の変化

事務スタッフKさんが入所していただいた後は、仕事がだいぶ楽になりました。

具体的には、自分が電話に出なくてもよくなる、事務作業が滞りなく早く正確に進む、接客のレベルがあがる等でした。

これまで、滞りがちであった仕事が進んでいくようになりました。その後、順調に受任する事件の数も増えていきましたが、1人でやっていたときほど大変ではなかったです。ある程度の数の仕事を受任したら、事務スタッフがいてくれたほうが確実に仕事がスムーズに進むといえます。

自分が苦手な作業をやってもらえる人がいるというのは、本当に助かります。

仕事はチームでやっていたほうが効率的で、生産性があがりますし、なにより顧客の満足度を高めることになります。人間が何でも自分でやって成果を出していくというのは難しくて、できるだけやる仕事を絞っていくことが大事です。

弁護士は弁護士にしかできない仕事に集中したほうがよいと思います。

弁護士と事務スタッフはどちらが偉いとかいう問題ではなく、あくまでも役割分担の問題に過ぎないと思います。やってくれたことにきちんと感謝を伝えて、自分のやるべきことに集中していくことが大切です。

 弁護士1・2年目の仕事

最初の頃は、国選弁護士の当番や、法律相談の担当を先輩弁護士から譲ってもらうなどして、国選の刑事事件、債務整理・破産事件を中心に事件を受任していましたが、遺産分割事件や、不動産関連事件などの一般民事の事件も少しずつ増えていきました。

弁護士2年目くらいからは、損保会社の仕事も受けるようになり、交通事故の事件もやるようになりました。

私は、福井での修習時代から弁護修習先の先生や先輩弁護士に指導を受けていたことや、先輩弁護士が即独の後輩弁護士をサポートするという伝統もあったことから、有形無形の多大な支援をいただきました。非常にありがたく、今でも感謝しております。

先輩弁護士から、事件の紹介もたくさんしていただきましたし、私が即独した時期が、いわゆる過払いバブルの末期で、債務整理の案件で弁護士報酬が高額の事件を受任できたというタイミングが割とよい時期でもありました。

また、修習時代からお世話になっている先生の事務所が同じビルの同じフロアにあり、ちょっとしたことでもすぐに質問しやすい環境がありました。例えば、裁判所への書面の送付といった初歩的なところから、事職務員の採用や備品購入、刑事弁護における被疑者との接し方、初めて手掛ける分野の事件処理のポイント等々、幅広く相談をさせていただきました。

そのおかげで、経験が無いことによる技術的・心理的な負担はかなり軽減されていました。今でも非常に感謝しております。

諸先輩方のおかげで、即独ながらもなんとか事務所経営を行ない、様々な事件を経験することによって弁護士としての研鑽を積むことが出来ました。

 事務スタッフNさんが加入

事務スタッフ1人目のKさんが入った最初の頃は、Kさんも暇でした(だったはず)。お願いする仕事も少なく、私自身も1年目は移動や出張のため事務所にいないことも多かったためです。ところが、受任する事件が順調に増えていくと、お願いする仕事も増えてきました。総務や経理といった仕事も任せるようになってきたため、Kさんがどんどん忙しくなってきました。

ドライアイのイラスト

そんな状況を、先輩弁護士に相談したところ、「2人目の事務スタッフをぜひ採ったほうがよい」と言われ、そのアドバイスに従って、2人目の事務スタッフの求人をハローワークに出しました。

そして、平成24年1月に入っていただいたのが事務スタッフのNさんです。Nさんが加入により、弁護士1名、事務スタッフ2名の事務所となりました。

Nさんは入所いただいたときから、いろんな事件の事務処理が得意で、パラリーガル的な優秀さが光っていました。自分が見逃してしまうような細かい点にもよく気がついてくれてすごく助かりました。結果、いろんな事件の事務処理をお願いしました。けっこうな無茶振りもしたときがありましたが(笑)、予想以上に応えくれていました。うちの事務所が今でもやっている分野の交通事故、相続、B型肝炎訴訟(事務所で弁護団に加入しています)などの、事務所における事務処理のベースを築いていただきました。

その頃の事務分担としては、だいたい下記のようなイメージでやっていました。

・Kさん(総務、経理、債務整理、刑事(謄写) 担当)

・Nさん(交通事故、離婚、相続、B型肝炎、その他の一般民事 担当)

第1創業期(個人事務所時代)は、事務所を移転する平成27年1月までなので、だいたい3年くらいはこの3人の体制で事務所をやっていたことになります。

(個人事務所時代の写真)

 開業2年目の後半に経営の危機感を感じる

何度か書いていますが、私が即独した時期はいわゆる過払いバブルの末期で、債務整理の案件で弁護士報酬が高額の事件を受任できたというタイミングが割とよい時期でもありました。

パブルというくらいなので、当然、いつかは終わりがきます。

過払いバブルの終わりを個人的に感じ初めたのが、私が開業した2年目の後半(平成24年後半)くらいからです。そのころから、過払いがある方の受任が一気に無くなってききました。

これに私は非常に危機感を感じました。

というのも、私はそれまで、即独であるのにも関わらず、開業してからほとんど営業活動はしてきませんでした。この理由としては、前の記事とおり、先輩弁護士からの仕事の紹介や、過払いの案件がそれなりにあったからです。

しかし、先輩弁護士もいつまでも私に仕事を紹介してくれるわけではないし、今後過払いの案件が無くなるとすると、売上を上げていくことが出来なくなるのではないかと考えました。当時、事務スタッフを既に2名も正社員として雇っていたので、月々の固定費もそれなりに掛かっていました。

これは何かをしていかないと事務所の存続も出来ないということで、この頃から、事務所経営を本気で考えるようになりました。

このとき、即独からだいぶ時間が経ってますから、本気になるのが遅いですね。

 交通事故の被害者側に注力するようになる

開業2年目の後半に経営の危機を感じるようになってから、なにかないかと探している中で、とあるコンサル会社のセミナーに行くことに。

それは「交通事故の被害者救済」をテーマにしているセミナーでした。

交通事故のイラスト「玉突き事故」

それまで損保会社側で仕事をしていたこともあり、『交通事故の被害者は弁護士をつければもらえるはずの適正な賠償をもらっていない』ということは知っていましたが、はっきりと意識はしていませんでした。セミナーを聞く中で、これは社会的意義があるし、事務所経営の柱になれる分野だと確信をし、うちの事務所でやっていこうと決断しました。

まずは、うちの事務所で交通事故の被害者向けのホームページを作成することになり、平成24年の12月頃にホームページが完成しました。

また、交通事故に関わる地域の人(保険代理店の方等)とのネットワークを築いていく活動をしていきました。そうしたところ、交通事故の被害者の方から当事務所に対して、問い合わせが来るようになり、受任が増えていきました。また、いろいろと事件を処理していく中で、交通事故被害者の方を紹介していただくことも増えていきました。

結果的には、受任する事件の5~6割近くが交通事故の事件となっていきました。交通事故分野については今でもうちの事務所の経営を大きく支えてくれる分野になっております。交通事故の被害者側の仕事は損保会社と対立する仕事のため、損保会社からの仕事も受けなくなりました。

うちの事務所にとっては、交通事故の被害者側に注力していくというのが大きな転換点になりました。それまでは、特に営業活動は何もせず、来た仕事を受けていくという仕事のスタイルでしたが、特定の分野の情報発信を行ない依頼者に自分たちのことを知ってもらい問い合わせをしてもらいそれを仕事にしていくというスタイルに変わっていきました。

 情報発信の大事さ

交通事故の被害者向けの仕事をしていくなかで、弁護士や法律事務所からの情報発信が大事だということがわかってきました。特に、交通事故のような個人の依頼者向けの分野においてはとりわけです。

正直、一般の市民の方にとっては弁護士へ相談するというハードルはまだまだ高いです。

弁護士がどのような価値やサービスを提供してくれるのかということをあらかじめ分かるようにしておかないと、なかなか弁護士にアクセスできないので、結果、法の助力を得られないまま、泣き寝入りしないといけないということにもなりかねません。

他方、弁護士や法律事務所がどれだけ素晴らしいリーガルサービスを提供していたとしても、市民がそれを知ることができなければ、依頼することは出来ないので、その弁護士・法律事務所は世の中に存在しないのと同じです。市民の方に知っていただけて初めて依頼に繋がるのです。

そのため、情報発信というのは、依頼者・弁護士のどちらにとってもメリットがある大事なことなのです。

交通事故分野に注力を始める平成24年12月ごろから、うちの事務所では情報発信というものに力を入れ、それを事務所経営の柱にしていくようになりました。

 個人事務所時代の利益構造

個人事務所時代は、売上から事務員さんの給料、賃料、弁護士会費等の経費を払って残ったもの(=所得)が自分のお金という利益構造です。単純な利益構造で、事務所という存在と私が分離しておらず、残る所得が少なかったとしても所詮は自分のお金ということで、割と経費は多めに使っていた気がします(組織化した今は経費は極力使わない方針で経営しています)。

悪くいうと、経費という名のもとにわりと公私が混じったお金の使い方をしていたと思います。

特に平成25年4月から福井YEG(福井商工会議所青年部)に入ったときから、飲みに行く機会も増えたりして、接待交際費が増えたりしました。事務所が組織化していく中で、ここ何年かはこうしたお金の使い方は極力しないようにしていますが、個人事務所時代に染み付いた意識は、組織型事務所に移行した後も変えていくのはなかなか難しかったです。

ただし、こういうお金の使い方をしても良かった点としては、研修やセミナー等のためにいろんな地方(海外含む)に出張に行ったり、いろんな新しい人と出会い交流して学びを得たりして、それを事務所経営に活かすということができた点です。よくいうと、自己投資が、自分や事務所の成長には繋がっていった気がします。

 個人事務所の限界を感じるようになる。

そんなわけで、弁護士1・2年目は刑事と債務整理、その他の一般民事事件を中心にやっており、3・4年目は交通事故を中心にやるようにやるようになっていました。

個人事務所でやっていた時代、毎年売上は伸びていました。これは、3年目くらいから交通事故分野でのご依頼を多く受けられるようになったからです。ただし、あるタイミングで、弁護士1名、事務スタッフ2名の個人事務所の限界を感じるようになりました。

仕事が忙しくなり、これ以上は仕事が入れられないという状態になったのです。

ここで私は、2つの道があると思いました。

①交通事故の分野だけに集中して、他の分野の仕事は断るようにする。あくまでも個人事務所でやっていくという道。

②勤務弁護士を採用して、仕事をお願いしていくという形にする。組織的な事務所を作っていくという道。

そこでの私が選んだのは②の道でした。

やりたい分野は交通事故だけではなかったし、弁護士としてもっといろいろな分野に挑戦してみたいという気持ちが一番大きかったためです。当時、年齢も31歳くらいだったので、年齢も若いのにチャレンジしないのはもったいないなと思いました。

そして、どうせやるからには、地方のインフラになるような事務所を作りたいと思いました。そのほうが社会的な意義が大きいと思ったからです。

他方で、勤務弁護士を採用して、組織的な事務所をしていくとなると人のマネジメントをしなければならなくなるので、そのへんは不安もありました。もちろん、今でも不安が無いわけではありません。というのも、弁護士や税理士等の士業事務所においては、ある程度大きくなった事務所が、人の問題で崩壊したり、分裂したりすることはよくある話で、自分の事務所がそのような状態になるのは嫌だなという気持ちはありました。

ただその頃の私は、最悪そんな状態になっても、まだ若いので個人事務所でゼロからやり直せばいいかと開き直っていましたので、そんなこんなで、勤務弁護士を採用していこうということになりました。

(個人事務所時代の写真)

 今後の記事について

本記事では、弁護士法人ふくい総合事務所の歩みを「~第2章~個人事務所時代(第1創業期)のあゆみ」として書かせていただきました。

今後は、勤務弁護士に来ていただき組織化を意識するようになった時代(第2創業期)について第3章で記事を書いていこうと思います。